およげ!たいやきくんは、サラリーマンソング

おやげ!たいやきくんは、決してヒットを狙って作られたものではありません。1975年にフジテレビの子供向け番組「ひらけ!ポンキッキ」の中のオリジナルソングとして作られたもので、番組の挿入歌として使用されたものです。唄にあわせて全篇アニメでストーリー展開をしており、たいやきが、焼かれることに嫌気をさして広い海に逃げ込み、つかの間の自由を手に入れ大喜びするが、釣り人のおじさんに釣り上げられてしまい、最後はうまそうにたべられてしまうという
かわいそうなたいやきくんの結末までの歌詞です。この悲壮なたいやきくんの一生が、当時のサラリーマンの生き様にフィットし、大ヒットを生んだといわれています。レコード化されて
A面はおよげ!たいやきくん。B面はなぎら健壱の「いっぽんでもニンジン」でしたが、子供に受けたのはむしろ「いっぽんでもニンジン」の方で、「およげ!たいやきくん」は子供より大人たちのほうが大ヒットさせたといわれています。いずれにしても1975年12月25日、シングル盤が
発売されるやいなや、オリコン史上初のシングルチャート初登場1位、11週連続1位という大記録を樹立、450万枚以上を売り上げました。オリコンにカウントされない分を入れると、実際は500万枚を超えるといわれる大記録は日本のシングル盤レコード売り上げ記録では、いまだに破られていない(2007年5月現在)不滅の楽曲です。

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およげ!たいやきくんで笑った人?悲しんだ人?

世の人々の同情を一手に受けた「およげ!たいやきくん」は子門真人の抜群の個性ある歌唱力とあいまって、その人気はとどまることを知りませんでした。次々と日本のレコード業界の記録を塗り替え、全日本有線放送大賞やFNS歌謡祭最優秀ヒット賞など獲得しました。当時は都はるみの「北の宿から」やユーミンの「ルージュの伝言」ピンクレディーの「ペッパー警部」アリスの「今はもだれも」などが流行っていました。「およが!たいやきくん」はこの時代でもまさに異色なジャンルといえましょう。しかし、ほかのヒットソングと違い、はじめからヒットを計算して狙って作られたものではなかったので、一躍人気シンガーになってしまった子門真人は買い取り契約でアルバイト的に歌ったため、印税もわずか5万円、B面のなぎら健壱もわずか3万円で
終わったというから、悲しい結末ですね。逆にこのレコードの販売権はキャニオンレコード(現在のポニーキャニオン)にあり、当時の記録的なレコード売り上げ収益で、通称、たいやきビルと呼ばれた新社屋が建設され話題になりました。子門真人さんのことを思うとなんとも悲しいお話です。その後、子門真人さんにはキャニオンレコードから100万円と白いギターがおくられたそうですが、これまた悲しい感じがしないでもありません。なぎら健壱さんは「あのビルの玄関部分は俺の印税でできたんだ」なんて笑いに変えていますが・・・?

業界に影響を残した「およげ!たいやきくん」

およげ!たいやきくんのヒットは、様々な影響を生みました。それまではテレビの子供番組から大ヒットが生まれるというような現象など考えられないものでしたが、このヒットをきっかけに現在もいろんな曲が子供番組から生まれるようになりました。耳新しいものには、「だんご3兄弟」「おさかな天国」「たらこキューピーソング」などがあります。「キャンディキャンディ」や「おどろポンポコリン」「オラはにんきもの」なども大ヒットしましたね。制作サイドも
子供向けのみではなく、およげ!たいやきくん以来、秘かにヒットを狙った丁寧な作り方になってきたような気もします。とりわけ音楽業界の裾野が広がったともいえますし、楽曲のクオリティが高くなったということは、やはり「およげ!たいやきくん」の影響が大きかったのではと思います。また社会現象として、たい焼き用の鉄板が飛ぶように売れたり、たい焼きやさんに行列ができるなどの現象が起こりました。また「およげ!たいやきくん」のモデルとなったといわれる東京は港区麻布にある浪花家総本店は今でも、あのヒット以来大盛況です。創業は明治42年で、伝統的製法を守り続けいます。パリッとして、香ばしくこげた薄い皮に包まれたほど良い甘さのたいやきは、やはりあの「およげ!たいやきくん」そのものです。ついあの曲が聞こえてくるようです。

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Copyright © 2008 およげ!たいやきくんは、大誤算の大ヒット曲?